祭りの夜に

shibaigoya

雷電と再戦の約束をしたのは、何年前だっけ?
雷電の噂はどんどん耳に入ってくるのに、相変わらず親父殿はぐうたらしている。

「面倒くせえ」
親父殿はいつものようにそう言って、こちらに背を向けて寝っ転がった。
「もういい! あたしは一人で行くからな!」
「おう、行って来い」
こちらを振り向きもしないで手をヒラヒラと振っているのが腹立つ。
「今夜は祭りだし……気が高ぶってる男に声を掛けられるかもしれんなぁ?」
ピタリと、手が止まった。
そして、寝っ転がったままこちらへゆっくりと向き直った。
……そんな真剣な顔するんなら、上半身ぐらい起こせばいいのに、この物臭オヤジ。

「……お前は、そういう男について行くような娘なのかよ?」
「さぁ? あたしだって年頃の女だし、素敵な殿方だったら……解らぬかもよ?」
親父殿は上半身を起こし、胡坐をかくと、腕を組んで眉をよせて「うーん」と唸り始めた。……しめしめ。

「うーん……考えるだけで面倒くせえなぁ。まぁ、お前がそうしたいなら、そうすりゃいい」
そう言うと、またごろりと寝っ転がった。 娘が心配じゃないのか、このオッサン!
「もし、そういう奴がいたら、連れて来い」
「連れて来たら何だってんだ!」
「一発殴らせろ。そんでいいや」
なんでワザワザ連れて来させて殴るんだ! 殴るんなら一緒についてくればいいのに!
一発殴ってやろうと思ったのに、避けられた。こんな時ばかり俊敏な動きしおって!
「もう知らん!」
「行って来~い」
また寝っ転がって背を向けてヒラヒラと手を振っている。それを睨みつけて、山の下の明かりに向かって駆け下りた。

町では、七夕祭りが開かれている。地方とはいえそれなりに大きな町だ。わざわざ他国から見物人が集まるほどの大きな祭りらしい。
煌びやかな提灯の明かりに照らされた人々の流れに混じって歩いていると、口上が聞こえた。

「さぁさ、腕に自信のある男はおらんかー? 藩主様の御前での武術試合だ! 流派、得物は問わないよー! 優勝者にはなんと十両だぁ!」

あたしが親父殿を連れて来させようとしたのは、こういう賞金稼ぎの為。こうでもしないと鬼神とて飢え死んでしまうというのに……。
それに、もしかしたら本当に強い男が出るかもしれん。

「さぁさ、残りの枠は後一人だよー!」
「乗ったぁ!」
拳を振り上げて宣言したあたしを、周囲の奴らは奇異の目で見た。
「お……お嬢ちゃんが?」
「ああ」
「怪我しちゃうよ?」
「怪我などせん!」
「うーん……でもねぇ……一応参加出来るのは……大人の男だけなんだよねぇ」
口上の男が指を差した衝立には、確かに『藩主の目に留まれば徴用も有り』と書いていた。
女子供が参加出来そうな雰囲気ではないし、しっかりと明文化されているのにゴネても仕方あるまい。

全く、親父殿さえ居たら……などと口の中で呟いていると、また別の口上が響いて来た。
「さぁさ、こちらは熱々のおでんの早食いだよー! 去年の優勝者に買ったら、1貫文!」
む、さっきと賞金は下がるが……仕方あるまい。先祖伝来の鉄の底なし胃袋の力を発揮するか……。
「乗ったぁ!」

「お……お嬢ちゃんが?」
またそんな目で見おって。
「……結構量があるよ? 食べきれなかったらお金も払ってもらう事になるけど……」
「構わん。食べきれば良いだけだろう? そして、そのデカブツに勝ったら……金が貰えるんだろ?」
ビシィっと、壇上にいる大男を指差すと、そいつはニィっと笑った。
「口の悪い嬢ちゃんだなぁ」
その巨体に筋肉はない。ぶよぶよと弛んだ肉……。
きっとこんな時でもなくては目を合わす事もなかっただろう。
口上の男の制止を振り切って、大男の隣に座る。大男と口上の男は何か言い争っていたが、結局大男が押し切って対決する事になった。

目の前にぐつぐつと煮立った土鍋が置かれた。
熱さ以前に、この量は、胃袋に入り切らぬかもしれない……並みの女なら、な!!
「では……始め!!」
……この土鍋。ここに出されるまでに相当煮込まれている事がわかる。
竹輪やハンペンは熱で口に近づける事も出来ぬだろう……。
これらは後回しにして、冷めるのを待つ。
まずは、この煮え立つ湯があまり染み込んでおらず、熱も伝わりにくい……昆布からだ!

ドォォ! っと津波の様な歓声が上がった。チラリと横目で大男を見ると……。
こ、こやつ……ハンペンだ。ハンペンを口に含んでおる! しかも二枚も!
バカな……熱さを感じぬのか?!
「化け物かよ……」
思わず小声で呟いた言葉は、男の耳にだけ届いたようだ。同じく横目であたしを見てニィっと笑った。
……しかし、こいつが化け物なら、あたしは鬼。陸奥圓明流に敗北の二文字はない!
――あたしの拳は……誰にも見えない!!

あたしは箸を構え直すと、特大のハンペンを大男の鍋へと放った。
続いて、竹輪……コンニャク……大根……。
大男はいくら食べても減らない土鍋を訝しがりながらも、次々に口に放り込んで行く。
しかし、鍋の中の残りの差はもはや縮まない所まで来ていた。あたしは、最後まで取っておいた卵を悠々と平らげ、拳を突き上げた。


腰には銭で膨らんだ袋を提げていたが、あたしの腹はちっとも膨れていない。
殆ど食べてないのだから当然だ。腹の虫の奴がぐうぐうと催促して止まらない。

「えぇい、黙らぬか!」
思わず腹に命令すると、後ろからくすくすと、若い男の笑い声が聞こえた。振り返ると、線の細い男がいた。
あまり武術は嗜んではいなさそうだ。男はあたしと目が合うとにっこり笑った。

「あんなに食べたのに、まだお腹すいてんだ」
「み、見てたのか?」
何故だろう。とても恥ずかしい気がする……。
「いや、あたし、実は食べてないんだ……その、あの大男の鍋に、具をこっそり移してたから」
「へー、そんな事ができるんだ」
「まぁな、あたしの拳は……誰にも見えないから」
「ふーん。凄いねぇ」

……男って、こんなに優しい笑い方できるんだ。
親父殿と一緒にいると、色んな男と出会うが……こんな男は見たことない。
ひょろひょろで、見るからに弱そうなのに……、何故かいつものように『男のくせに』と軽蔑できなかった。

「でも、お腹すいてるなら買えばいいじゃない。あそこの焼き鳥なんて絶品だよ?」
「いや……これは、その、生活費にするから……使えないんだ」
「ふーん、頑張ってるんだね」
「いや、それほどで――」
今ほど、この先祖伝来の馬鹿胃袋を呪った事はない。
不意になった腹の音に、自分でも顔が赤くなっているのが解った。

「じゃぁ、オレが奢ってあげるよ」
「え……でもあたし、何も礼とかできないけど……」
「お礼なんて……君と一緒にお祭り巡りできたら、それでいいよ」
「え……?」
「実は友達とはぐれちゃったんだ。
祭りはこれからだから帰るのもなんだし、だからと言って一人で巡るのも寂しいしね。
良かったら一緒に回ってくれたら嬉しいんだけど……」

……奢ってくれるというし……悪い奴じゃなさそうだし。
いざとなれば、あたしには圓明流があるしな!
ふと親父殿が腹をすかせている姿がよぎったが、知るもんか。祭りに来ない奴が悪いんだ。
今日ぐらい自分で飯をつくればいい。

「そ、そこまで言うなら、付き合ってやってもかまわぬよ……?」
男は嬉しそうに笑った。
「じゃぁ、何を食べる?」
「焼き鳥!」


あたし達は色々な屋台を巡りながら、色々な事を話した。
というより、あたしがずっと喋ってた気がする。
この男はとにかく聞き上手なんだと思う。

「……と、いうわけで親父殿は今日もぐうたらしてるんだ」
いつの間にか祭りの喧騒が途切れ、蛍が舞う河原にいた。
その光景に一瞬見とれて足を止めると、男が言った。

「葉月は、お父上が大好きなんだね」
「だ、誰があんな物臭ダメダメ馬鹿おやじ!」
「でも、お父上の話ばかりじゃない」
その言葉ではたと気がついた。
あたしが知っているのは親父殿の事、圓明流の事だけだ。
あたしと同じ年頃の女は……何を知っているんだろう。

「……すまない。つまらん、よな」
「そんな事ないよ。面白いお父上じゃない」
でも普通の女は、こういう時に父親の話などしないだろう。
一体何を話せばいいのか解らなくなった。
するとその無言が気まずくて、何か言わなくてはと焦ってくる。
しかし……口にできる話題などなく、ますますどうすれば良いのか解らなくなった。

沈黙が、不自然な程に長く続いた。するとふいにと名前を呼ばれた。
あたしは意識せずに俯いていたらしい。
顔を上げれば、男はしーっと指を口にあて、もう一方の腕で空を指差した。

無数の蛍のその向こうに、更に多くの星が瞬いていた。
「……きれい」
思わず口をついた。

「オレも、そう思うよ。今はそれでいいんじゃないかな」
「え?」
「……この世の中にはさ、色んな人がいて、色んな考えがあって、だから色んな価値観があるはずなんだ。
でも、今、オレと葉月は同じものを見て、同じ事を思ったんだ。それって、実は凄いことなんじゃないかな?
オレは、葉月と同じ考えが出来た事が、嬉しいよ」
「そうか……そう、だな」
「あと、……この考えも同じだと、嬉しいんだけど」
「何?」
「手を、繋ぎたいな」

あたしは何も言えなくて、無言のまま少しだけ……ほんの少しだけ腕を上げた。
あたしの小指が差し出された男の手にちょんと触れると、ゆっくりと、強く握られた。
見た目は弱っちいくせに、随分大きな手だ。いや……あたしの手が、小さいだけだ。
それが悔しいのか、恥ずかしいのか良く解らなくって、目線を落とせば、蛍の光と天の川が、川面に映ってて、
どっちが上なのか下なのか良く解らなくて……ぐるぐる回る頭に、優しい声が染み込んできた。

「今日は七夕だし、お願い事をしようかな」
「なんて……?」
「明日も、葉月に会えますようにって」
その瞬間、あたしの胸の奥で何かが弾けた。
「あ、あたしも――」

「あー! こんな所にいたぁ!」
女の声が聞こえた。振り返ると、あたしと同い年ぐらいの派手な女がいた。
「あ、おヨネちゃん。どこにいたの? 探したんだよ」
「うそ。絶対私の方が探してたぁ」
どうやら男の知り合いらしい。女はあたしに気がつくと、もの凄い形相で睨んできた。
「……誰?」
それはあたしの台詞だ、と言う前に、また別の女の声が聞こえた。
「あーーーー! ちょっと、おヨネ! あんた別れたんでしょ?! いつまでも彼に付きまとわないでくれる?」
「はぁ? 何それ意味分かんない! ねぇ、私の事が好きなのよね?」
「私よね? この前の夜にそう言ってたじゃない!」
「はぁ? 私、昨日の夜一緒にいたし、今夜も一緒の予定だし」
「え……そ、そんなの……酷い! どういう事?!」
「それはこっちも同じなんですけど。ねぇ、どういう事?! どっちが本命なの?!」
ぎゃぁぎゃぁと早口にまくしたてる女たちに、男は笑って答えた。
「オレは二人とも同じぐらい好きだよ?」
そして私を振り返る。
「もちろん、葉月もね」
その瞬間、あたしの胸の奥で何かが弾けた。残ったのは、突き出した拳に残るイイ感触。……快……感v


「おーおー、お早いお帰りで」
帰って来た葉月はオレに一瞥もくれず、金のはいった袋を投げて寄こした。
「……随分稼いできたな……」
「親父殿が来たら、十両手に入った」
「そんな大金、持ってても面倒くせえだけだ。必要な分だけでいいんだよ」
返事もせずに、プイと顔をそらす。……こりゃ祭りで何かあったな。

「で、素敵な殿方とやらには、声かけてもらえたのかよ?」
イキナリ、凄い形相で振り返った。……ちょっと心臓に悪い。
「……親父殿は、そういう奴がいたら殴ってやるから連れて来いと言ったな?」
「ん? あぁ、まあな」
オレが言ったのは「連れてきたら殴らせろ」で、少し語感が違う気がするが、訂正するのは面倒くさかった。

「その必要はない! 親父殿が殴る前に、あたしが殴る!」
「はぁ?」
どういう事だよ……?
「ああいう女の敵は、女がコテンパンにしてやらねばならんのだ!」
「……」

「……なんだ、親父殿。ニヤニヤして……」
「その分じゃ、まだ当分先だなぁって思ってな」
「何がだ?」
「説明すんの面倒くせえ」

葉月がぎゃーぎゃー言ってるが、面倒くせえ。先の事を考えるのも面倒くせえ。
「あ、葉月。腹減った。メシ作ってくれ」
「自分で作れ、馬鹿オヤジ!」
まぁ、今回は一発ぐらい殴られてやるよ。

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