第1話 清盛、宋銭の使い道を考える事
時は12世後期、場は日本。
時の権力者、平清盛は「宋銭」に目をつけた。
宋銭――宋の国(中国)の貨幣なのだが、日本には「銭」という概念がまだなかった。
いや、あったにはあったのだ。
清盛から遡る事400年ほど前の飛鳥時代に、唐(中国)の真似をして日本も12種類の銅銭を鋳造した。
これが「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」
12種類の銭のうち有名なものは日本初の銭「和同開珎」である。
しかし、何でもかんでも唐の真似をするのがトレンディでハイソだった時代。
発行したはよかったが、当時の上層部は経済についてよく知らなかった。
まず偽銭や銅の品質低下を引き起こした。
その度に新しい銭を発行したのだが、その新しい銭の価値をとりあえず前の銭の10倍とした。(1000%のデノミネーション)
しかし、新しい銭の品質が必ずしも前の銭の10倍の品質なのかと言えばそんな事はなく、
また庶民からすれば頑張って貯金したお金の価値がいきなり10分の1になるのでたまったものではない。
発行するのは上層部なので、新しい銭をまず手にするのは貴族。
庶民までに行きわたる頃には、また1000%のデノミがかかった新しい銭が発行される。
こうなってしまえば経済破綻までは時間の問題だ。
そこで貴族が取ったインフレ対策は――伊勢神宮に祈る事。
「だめだこりゃ」
こうして和同開珎発行から200年後、12種類目の銅貨の発行から20年後についに「禁破銭令(きんぱせんれい)」が出される。
今まで発行された銅銭はすべてただの銅の塊となってしまったのだ。
無価値となった銅は、集めて溶かして仏像などにリサイクルされた。
それから更に200年ほど経って、平清盛が再び「銭」に目をつけたのだ。
だが清盛は、山積みの宋銭を前に頭を悩ませていた。
どうやって経済のケの字も解らぬ公家たちに、この「銭の価値」を認めさせようか……。
「価値」……「価値」とはなんだ。
人々に分かりやすい価値とはなんだ?
着ている服か?
確かに身分によって着られる服は違う。
しかしそれはあくまで服の価値ではなく「身分」を表しているにすぎない。
ならば住んでいる場所か?
確かに京に近ければ近いほど価値はある。
それならば京に住む非人の方が、地方に赴任した官人より価値があるというのか?
食べ物か?
ならばなぜ「食べ物を生産する」農民が、食べるだけの貴族より下なのか?
価値とは何か?
価値あるものとは――「人」だ。
清盛は宋銭の束を一掴みして、立ち上がった。