「よく見ると、違いますよね」
「ん?」
琥珀を振り返ると両手にドングリを持って見比べていた。
「ああ」
どうやら背比べをしているらしい。
琥珀は基本的に無口だが、時折口から出る言葉はこの通り意味不明な物だ。
だが視線の先や仕草や表情を見れば、なんとなく言いたい内容ぐらいはわかってきた。
「では、こっちがドングリ左衛門で、こっちをドングリ之助ということにしましょう」
「本当に見分けついてるのかよ」
「あら。では試してみましょうか」
と、琥珀はいきなり両手でふたつのドングリを包み、シャカシャカと勢い良く上下に振って、再び手を開いた。
「こっちがドングリ左衛門で、こっちがドングリ之助です!」
どうですか? と言わんばかりの得意げな顔で宣言する。
「ああ、そうだな」
正直、オレに正解は解らなかった。
* * *
琥珀がオレについてきて、一ヶ月半だ。
前に一度宿屋に泊まったが、寝相が悪いのか、オレの布団に潜り混んできて、色々な物を押し殺すのに苦労した。
あれ以来、町には行ってない。
野宿する時も木の上で夜を明かすようにした。
琥珀は何も言わずに、オレの登った木の根元に寄りかかって寝ているようだ。
――なんで、こいつはオレについてきてるんだ?
この一月半、あえて考えないようにしていた疑問だった。
でも、最近その事ばかり気になっている。でも、琥珀に直接聞く事は出来なかった。
――どうせ、意味不明な事言ってはぐらかすんだろ?
そんな事を理由にしていた。
「辰巳さん!」
いきなり、腕を引っぱられた。
琥珀は例え転んでも、置いて行かれそうになってもオレを呼び止める事はしなかった。
そんな奴だったから、いきなり腕を引かれて吃驚した。だからドキリとしたんだ。うん。
「足が滑りました」
「へ?」
「ごめんなさい」
流石に予想外だった台詞と、台詞とちぐはぐな冷静な表情と、小柄な女とはいえいきなり全体重を掛けられた驚きで、オレも咄嗟の判断が鈍り、共に崖から転げた。
ほぼ垂直と言っていい崖は、ヘタに止まろうとするよりもこのまま転がった方が良い。
幸い下は川だ。問題は、所々飛び出した岩。
「こ、は……くっ」
叩きつけられる前に、琥珀の頭を抱えた。三回ぐらい背中を打って、川へと落ちる。
深い川だったのも運が良かった。
水の中で、琥珀を離したが、ちゃんと水面へ向かって泳いでいく。
見た目から受ける、トロ臭そうな印象と違って、達者な泳ぎだ。
川面から差し込む光の中、赤い着物から延びる白い腿を交互n――
慌てて水中で琥珀を追いこして、川面から顔を出し、息をついた。
――大丈夫だ、見てない。
「辰巳さん」
「見てないぞ」
「……何をですか?」
「あ、いや……別に」
危うく墓穴を掘る所だった。琥珀はそれ以上気にせずに、クスクスと笑った。
「楽しかったですねー!」
「お前なぁ……」
わざとらしく呆れたような表情と声を作っても、琥珀は笑いながら、川岸へと泳いで行った。
* * *
「辰巳さーん、本当にこっち来なくていいんですかー?」
「ああ」
火を焚いた後、オレは濡れた着物もそのままで、大きな岩を隔てた向こう側にいた。
何故なら、火を焚いたとたん、琥珀がいきなり着物を脱ごうとしたからだ。
「でも、濡れたままじゃ、幾ら辰巳さんでも風邪ひいちゃいますよー」
「平気だ」
と、答えた途端くしゃみが出た。
岩の向こうで琥珀の笑い声が聞こえた。
「もう、こっちは服が乾きましたよ」
「襦袢だけだろ、着物はまだ乾かしてるじゃねーか」
岩の天辺にはまだ赤い着物が掛っているのが見えた。
「気にしなくてもいいのに」
「お前が気にしろよ」
「なんでですか?」
「……嫁入り前の娘が、やたら男に肌や下着姿を晒すもんじゃねぇだろ」
「あら、もう嫁には行ったはずですよ」
「……オレはまだ認めてねぇぞ」
チャプチャプと音がする。……水を汲んで湯でも沸かすつもりだろうか?
「……どこまでついて行ったら、認めてくださいますか?」
「え? そりゃ……」
具体的に考えていた訳ではない。どうせ、途中で根をあげると思ったらから。だが……。
「私はこの一月半、一度も弱音を吐いた事ありませんよ。これからも絶対に言いません」
たしかに、その根性は認めてやってもいい。だが……。
「お前が、意地を張ってるだけだろ」
「ええ、意地ですよ。でも辰巳さんも意地になってるだけでしょう」
「何処がだ」
「では、私が妻となっては不都合がありますか? もしかして故郷に許嫁がいたりするのですか?」
「そんなのはいない」
「では、私に不満があるのですか? 料理の味ですか?」
「いや、いつも美味く作ってくれて感謝してる」
ただ、その作り方の説明が、カプカプしてるだの、ジューっとしてポンだの、よく解らないが。
「では、容姿ですか?」
「んなわけあるか。オレにはもったいねえぐらいだよ」
これに不満だっつったら、誰かに殺されても文句言えねえだろうな。
「では……内面的な事ですか?」
「それもないさ」
たしかに、いつも意味不明な事を言うが、こいつのこの世の中の物事の見え方が少し見えるようで、楽しいものだ。
「では――私の体ですか?」
「見ても無いものに不満がある訳ないだろ」
「なら、今見てみたらどうですか?」
「ふざけるな」
「ふざけてません!」
いきなり、湯を掛けられた。熱い。物凄く熱い! 服が張り付いて熱い!!
着物と袴を急いで脱いだ。
「何しやがる!!」
思わず振り向いた先には、肌も透けそうな襦袢姿の琥珀が仁王立ちで頬を膨らませていたから、慌てて再び背を向けた。
一瞬だから、ギリギリ見たうちには入らんだろう。……確かに、不満はない体だ。いや、そうじゃなくて……。
「……っくしょいっっ!」
クシャミをしたら、クスクスと笑い声が聞こえた。
「服が乾くまで、こっちに来て火に当たったらどうですか? 風邪ひいちゃいますよ」
その時、オレは琥珀に言い知れぬ恐怖を感じた。いや恐怖というのも少し違うかもしれない。
――なんで、こいつはオレについてきてるんだ。
その疑問が、急激に膨れ上がって、言葉が変わって口をついた。
「……お前、もう……尾張に帰れ」
その言葉を言ったとたん、時が止まった気がした。
「……私がついて行くのはここまで、という事ですか?」
「ああ」
「では、最後までついて来たので、嫁にしてください」
「ふざけるな。一人で帰れぬというなら、送っていくから……」
「では、尾張までついて行くので嫁にしてください」
「なんで、オレについて来るんだ!」
思わず口走った、聞けなかった疑問。
「ついて来れたら嫁にすると言ったからです!」
どうせはぐらかされると思い込んでいたその答えは余りにも単純で、わかりやすかった。
「なんで嫁になりたがる!」
「あなたに惚れてるからです! そんな事言わせないでください!」
わかりやす過ぎて、一瞬訳がわからなくなった。ひどく混乱していたんだと思う。
「だから、それがなんでだ! いつからだ!」
「あなたと、出会ったあの日から」
「そんな事、あるわけないだろ」
「あります! だって、あなたは……私が出会った中で、一番優しい人だったから……」
「女の意志がどうというのなら、そんな奴いくらでも……」
「兄さんに、本気になってくれた」
「は?」
「兄さんに誰も本気で勝負なんてしません。でもあなたは本気を見せてくれた。
私、端から見てて兄さんが殺されたかと思った。でも、あなたは拳を外してくれた。
だから私は、あなたなら貰われても悔いはないと思ったの」
「あの時、貰おうと思ったのは、お前じゃなくて握り飯だ」
「わかってます。でも……今はどうですか?」
「何?」
「私に、握り飯以上の価値はありませんか?」
ああ、そういう事か。
「……お前は、握り飯に負けたと思ったのか」
「さっき意地だと言ったはずです。惚れた相手の一番になりたいと思うことは変ですか?」
「そんな事はないさ、よくわかる」
それから、たしかあのうつけ殿も言ってたな。自分と妹はよく似てると。
――兄さんに誰も本気で勝負なんてしない。
確かに、こんな変な女に本気になる奴なんていなかっただろう。
「では、何故……私を妻だと認めてくれないんですか? やはり握り飯の方が……」
「それも、お前が言っただろ。ただの意地だ」
「え?」
「これから先、弱音吐いたって、絶対に帰さねえからな」
「え? え?」
珍しく戸惑ってるような声を出す琥珀に、笑いを堪えるのに苦労した。ニヤけてちゃ、カッコつかねぇしな。
意を決して振り向くと、目を丸くして棒立ちになった琥珀が見える。
構わず近づいて、肩をつかんだ。やけに細いくせに、柔らかかった。
「……本気になって、いいか?」
丸くなったままの琥珀の目がさらに見開いた後ゆっくりと細くなり、口が肯定の最初の言葉の形を取った所まで見たが、言葉を発するまで待ちきれずに口で塞いだ。
* * *
* * *
次の日、オレは琥珀の顔が見れなかった。でも琥珀はきっとニコニコしてるんだろう。
自然に足が速くなったが、それでもやっぱり琥珀はついて来た。
「あ、辰巳さん。双子のウサギですよ」
その言葉につられ、空を見上げると、確かにウサギに見えるような雲が二つ浮かんでいた。
「ウサ次郎と、ウサ三郎ですよ」
「ウサ太郎は居ないのかよ」
「ウサ太郎はお父さんですよ」
「……そうか」
「辰巳さんは、どっちがウサ次郎か解りますか?」
オレはゆっくりと、右側のウサギを指差した。
なんとなくだが、右側の方を琥珀は次郎と言いそうだと思った。
「正解です!」
琥珀は、これ以上なく嬉しそうな顔で笑ってるんだろう。でも、今日はそれも見れそうにない……。
「辰巳さん、なんでさっきから目を合わせてくれないんですか」
「……お天道さんは直視できないだろう?」
後から思えば相当意味不明な回答だった。だが、琥珀は「あら、もう!」なんて照れていた。