満月の影、新月の光 3

shibaigoya

少々……いいえ、かなり大変な事になってしまいました。

頼朝様が義経様に対して大変な怒りを示しているそうなのです。
まず安徳天皇を死に追いやってしまったこと。三種の神器を取り戻せなかったこと。
これが、義経様が功を急いて、突っ走った結果とされてしまったのです。
義経様は郎党を従えて鎌倉に向かいましたが、腰越より先に進むことを許されなかったそうです。
京へ戻った義経様はとても塞ぎ込んでいました。

でも、良い知らせもあるのです。

私は久しぶりに腕を奮った夕餉の時に、皆の前で言いました。

「義経様、やや子ができましたよ」

* * *

いつかのように、時が止まった。静の顔が歪む。いや、静だけではない。
皆の顔が歪んで見える。歪んで無いのは郷だけだ。

「だ、誰の子ですか?」
静が、引きつった顔で聞いた。
「あらまぁ、義経様の子に決まってますでしょう?」
無邪気に笑っている。本当に満たされて、幸せそうな笑顔だ。
「本当ですか?! 義経様!」

義経。お前が人の子なら、郷を罵れ。怒って、頬の一つでも叩いて、離縁しろ。
でなければ、いつも腰に飾ってるだけの刀を抜いてオレに向けろ。
それもしないと言うのなら、いつものようにすっとぼけた顔で「何もしてない」と言ってみせろ。

そうすれば、静も、静の子もくれてやる。
だが――郷は……郷の子は……。

義経はただ、柔らかく、穏やかに笑った。
「ええ。確かに、私の子です」

あぁ、郷の言う通りだ……。
こいつの優しさは、鬼だ。

* * *

皆さん、簡単にですがお祝いの言葉をくれました。静どのはフイと部屋へ帰られてしまいましたが……。
こんな状況ですから、大々的にお祝いできないのは分かってます。でもとっても嬉しかった。

これでようやく、子を産めるのですから。
これでもう、私は孤独ではなくなるのですから。

今日は綺麗な半月。でも雲がないせいかとても明るい気がします。
手をかざし、青白く輝く自分の手を見ていると、月が陰りました。いつかのように、鬼一どのがいました。
相変わらず、月夜が似合う綺麗な人……。

「懐妊祝いと言っちゃなんだが、月見をしないか? 皆待ってるぜ」

鬼一どのが伸ばした手を握ると、体を抱き寄せられました。
大きくて、堅い胸板。暖かい体温の奥に脈打つ。心臓の音が伝わって来ました。

「少し飛ばす。しっかり捕まってろよ」

鬼一どのは、風のような早さで夜道を駆け抜けて行きます。
連れて行かれたのはどこかの川のほとり。
川面に月が映り、まるで月が二つあるような不思議な所でした。半月がふたつで、ちょうど満月です。

「とても綺麗ですね」
「だろう」
「でも、待っている皆さんが見当たりません」
「あー……」
鬼一どのはぽりぽりと頭を掻きながらいいました。
「すまん。実は人払いをしたんだ」
「人払い……?」
「……お前が子を宿したと聞いて、静が拗ねた」
「まぁ……。私の時は人払いなんてしてくれなかったのに」
「……すまん」
「何故鬼一どのが謝るのですか」
私がクスクスわらうと、鬼一どのはそっぽむいてしまいました。

「……まったく。妹をやるのは奥州に行ってからだって言っていたのに……」
「奥州……?」
「ああ。オレと静の故郷だが……義経の第二の故郷でもある。もう鎌倉にも京にも居られぬだろうよ。だから、奥州へ向かう事になるだろう」
「そうですか……」
「お前はどうする?」
「身重の女が一緒にいては、道中足を引っ張ることになりましょう。私は京に残り、子を産みます」
「……そうか」
「しかし、やはり子は父の背を見て育つものです。自由に動けるようになりましたら、この子の父の元へ向かいます」
「……なら、その頃に迎えに来よう」
「えぇ、待ってます」
やっと、鬼一どのが目を合わせて下さいました。
半月の光は不十分だけど、新月の夜よりずっといい。聞こえるのは川の音だけ……。
鬼一どのの眼は月の光を反射して、まるで半月が二つあるようです。
「月が綺麗ですね」
「……ああ綺麗だな」

その時、川の音に交じって遠くから不穏な音が聞こえました。馬の蹄です。
「……まったく。揃いも揃って無粋な奴らだな、頼朝の御家人衆は」
ビリビリと空気が張り詰めた気配がしました。
「郷、ここで身を潜めてろ。オレが来るまで絶対に動くな。声を出すな。いいな?」
それは鬼一どのから発せられているように感じました。まるで身を刻まれるような、鋭い空気……。
言葉を失った私に鬼一どのはもう一度「いいな?」と念を押しました。
「はい……」
私の言葉を聞くと、黒い風となって去って行きました。
あぁ、あの人を他の女の方が怖がる理由がわかりました。
けれど、私はそんな鬼一どのがあまりに美しいと感じて、言葉を失ったのです。

そういえば幼いころ、月夜の晩、京の都に物の怪が出ると噂が立ったことがありました。
その物の怪はきっと、この世の物と思えぬほど美しかったに違いない。なんとなくそう思いました。

* * *

案の定、馬蹄の音は鎌倉からの刺客でした。
皆さん京を離れることとなり、身重の私は静どのの白拍子の母である磯の禅師どのへ預けられました。
木を隠すには森に、女を隠すには女の集団へ、ということらしいです。
「お母様の所なら、連絡も取りやすいですしね。なんならずっと居てもいいぐらいですよ」
「あらまぁ、お気遣いありがとうございます、静どの。しかし夫の世話は妻の役目。子が生まれたら駆けつけます」
こんな姉妹のように微笑ましいやりとりも、しばらく無いと思ったら寂しいです。

白拍子の方々は美しい人ばかりで目眩がしましたが、皆私を気遣ってくれました。というより……、
「ね、ね、静ってどうだった?」
「あんなワガママで武家の妻なんて勤まらなかったでしょ?」
同病相憐れむ……といった所でした。
「とっても仲良くして下さいましたよ、ほほほほほ」

しかし楽しい日は長く続きませんでした。
父が、謀反人源義経の縁者という理由で討たれたのです。義経様の元へ私を嫁がせたのは、他でもない頼朝様だというのに!
噂は逃亡中の義経様の耳にも入ったようで、すぐに使いの者から文が届きました。

「私のせいで、すまない」

あの鬼のような人が初めて私に謝ったのです。
きっととても弱ってるのでしょう。私もすぐに文をしたためました。

「謝らないで下さい。私は源氏の女です」

もうすぐ子も生まれます。めそめそした母の姿など、見せる訳には行きません。

年が明け、無事に子を産み落としました。花のような女の子。きっと美人になります。
しかし喜びもつかの間、磯の禅師どのが鎌倉へ呼び出されました。
静どのが捕らえられたからです。

話によると、静どのは子を宿していました。
それを聞いて私は我が事のように嬉しく思いました。静どのも母となるのですから。

けれど身柄は鎌倉にあります。もし男児だったりすれば、どうなるか……。

私は祈りました。どうか静どのの子も女の子でありますように、と。

しかし、私は忘れていたのです。私は祈りによって罪を犯した身です。簡単に願いは叶えてくれません。

静どのは、男児を産み、赤子は由比ケ浜に埋められたそうです。
その時の心境を考えるだけで私は胸がつまり、わが子を強く抱き締めるしかありませんでした。

そんな私の元に磯の禅師どのが帰られました。しかし静どのの姿がありません。
まさか、悲しみのあまり思い余って……。

「静なら奥州に向かったぜ、義経と、赤ん坊と共にな」

鬼一どのが、いました。

「……由比ケ浜に埋められたのではないのですか?」
「 ああ、埋められた。だが砂の中でなお泣いていやがった。あの赤ん坊は陸奥の子だ。修羅になる宿命を持っている」
そう言った鬼一どのの顔は、少し嬉しそうでした。

「源氏の子も、無事か?」
「はい。ここに……花のような女児でございます」
娘の顔が見えるように抱き直すと、それを覗き込みました。
「……お前にあまり似てないな」
「えぇ、父親似ですよ。この子の父は美しい人ですから、きっと美人になりますよ」
「……訂正する。お前にそっくりだ。美人になるのなら、お前似だ」
「……美人? ……私が、ですか?」
「あぁ。よく言われないか?」
「生まれてこの方、初めて言われました。特に殿方には」
嫁ぐまであまり殿方と交流はなかったし、みな静どのばかり美しいと言っていたし……。
「なんだ、みんな見る目がなかったんだな」
ぼっと音が立つぐらい顔に熱を帯びました。鬼一どのはそんな私を大いに笑いました。

* * *

白拍子の方々に見送られて、私は鬼一どのと奥州に向かいました。

旅立つ前に散々みなさんに「あの人と一緒で大丈夫?」とか「怖い目に合わされそうになったら逃げてくるのよ」とか言われました。
……鬼一どのが怖がれてるのって、本当だったんですねぇ。

もちろん怖い目になど合わされる事などなく、私やこの子を気遣って下さいました。
色んな事を話しました。お互いの故郷の事。幼いころの思い出。語る言葉はつきず、長い道中、辛さは感じません。

回りに回って奥州にたどり着いたのは年が巡って雪解けの春になってからでした。

義経様も静どのも私を待っていて下さいました。
静どのは子を成したせいか、すっかり穏やかな表情をするようになっています。
そしてその胸に抱かれている男児を見せて頂きました。義経様にソックリです。

しかし、顔なじみの郎党の皆さんの顔が見えません。大きな身体の弁慶さんが傍らに立っていて、いつもその横には……。
「あの……三郎どのと、忠信どのは……」
義経様は目を伏せて、首を振りました。

* * *

その晩、久しぶりに郷どのの手料理を皆で食べました。この味を噛み締めると京での日々が思い起こされます。

郷どのには衣川の館の母屋が当てられました。静はその離れで暮らすようにと。
九郎義経は正妻とその娘と平泉にいると思わせ、静と死んだはずの虎若を隠すため……と鬼一どのは申されましたが……。

「それは、つまり郷どのとその子を囮とする……という事ですか?」
「馬鹿言うな。虎若は陸奥の子だ。陸奥として育てるためもある。あまり表立っては困る」
「しかし……」
「郷の子は……お前の子、なんだろう?」
「いや、でもあれは……」
「虎若だって、義経様の子です!」
横で話を聞いていた静が毅然と言いました。
「陸奥の子が欲しいのでしたら、兄様が誰かを娶ればいいのです! いい年して、いつまでも戦いに飢えてる場合じゃないでしょう?」
鬼一どのは苦い顔をして言いました。
「……無茶言うな。女は皆、オレを怖がって近寄りもしない」

郷どのは、あなたを怖がっていませんでしたね……。

* * *

平泉での生活は質素ですが満たされておりました。
私が娘に教えてあげられるのは料理ぐらいだけれど、どこで覚えたのか握り飯の握り方は妙に達者です。きっと握力が強いんでしょう。
虎若様も、娘と仲良く遊んで下さいます。

静どのは私の子に舞を教えて下さいました。幼いながらもみるみる上達していく娘に、静どのも驚いたようでした。
「郷どのの家は、武人として名高かったんでしょうか? 持って生まれた身体能力がなければ、この年でここまで踊れません」
「いいえ、私の父も祖父も兄弟もぱっとしませんでしたよ。きっとこの子の、父の血のせいでしょう」
それを聞いて納得したのは一瞬。
「……と、虎若だって源氏の血のせいか、武術の飲み込みが早いんですよ!」
「あらまぁ」
慌てたように対抗する様は相変わらず。本当に可愛らしい方です。

鬼一どのはたまに様子を見に来て下さいます。そして娘が作った握り飯をおいしそうに食べるのです。

「参ったな……」
ポツリと鬼一どのが呟きました。
「静のやつ、虎若を源氏の子として育てる気だ。陸奥はオレで終わるかもしれん」
「まぁ」
「こっそり虎若に形を教えてるんだが……やっぱり陸奥の技を使えるようにするには、もっと本格的に教えなくては……」
「では……私の子に教えてみますか?」
「何?」
「静どのがおっしゃるには娘は身体能力が常人から外れている、らしいですよ」
「……女じゃ陸奥を名乗れぬよ。それに……陸奥の技を使えるのは、陸奥の血を引く鬼だけだ。その子は鬼じゃない。源氏の姫だ」
鬼一どのは目を逸らすように空を見上げます。
私も空を見上げました。夕日と月とが一緒に見えました……。

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