I, Belle Starr – ベル・スタァ –
酔いつぶれて眠っている船員たちの間を足音を立てないように縫って、船長室まで行く。幸い鍵はかかっていなかった。音を立てずに慎重に入って、そっと灯をつけると、目的のものが、そこにあった。
だがガラスケースの中に入っていて、それには鍵が掛けられていた。
割ったら音で誰か起きてしまう。机やタンスの引き出しを開けて調べていると――
「Who?」
見つかった。
船員の中でも一番体格が良くて、一番雷をバカにしていた男だ。
――バレちゃぁ、仕方ないか
雷はガラスケースを拳で突き破り刀を掴むと、入口に仁王立ちしている男に突進した。
「Come on…Yellow Monkey!」
そして飛び上がると、その顔に足を叩きこんだ。
「……イエローモンキーがどんな意味かぐらい解るよ。毛唐」
暴力や暴言は好きではない筈だが、なんだかちょっとスッキリした。
――やっぱりオレ、あの一族の一員なんだろうか……
そんなことを考えながら物音で起き始めた船員たちを通り過ぎて、灯の消えない港へと飛び降りた。
だが船から逃げても安心はできない。一刻も早くこの港を抜け出さないと、追手が来る。
ここが何処で日本が何処かなんて、その後に考えればいい。
幸い半年以上もあいつらと一緒にいたおかげで、白人たちの言葉は多少分かってきた。なんとかなるだろう。
しかし、ただ闇雲に抜け出してもダメだ。
キョロキョロと見渡していると、荷馬車が通り過ぎた。町の出口へと向かっている。
――あいつらの言葉だと、Lucky! ってとこだな。
何処かへと荷物を運ぶのか、それともその帰りか。どちらにせよ、ここではない何処かへ着くはずだ
雷は馬車へと駆け寄り荷台へと飛び乗ると、荷物の隙間に座って遠ざかる船を眺めた。
――とりあえず命を救ってくれた事と、言葉を教えてくれた事は感謝してるよ。
「Thank you, Pig fucker」
しばらく揺れる視界を眺めていたが、町から外れると見えるのは夜の闇だけ。
追いかけてくる者もいなさそうなので、緊張が解けたのか、うつらうつらとし始めて眠ってしまった。
思えば船の上で、熟睡した事はなかった。一年分寝られそうな気がする……。
* * *
荷馬車の御者をしているパーシーは川沿いに北へと向かって走っていた。
アメリカの東海岸の港町バージニア州のノーフォークから、交易品を首都のワシントンD.Cに運んでいたのだ。
特に問題もなく順調に進み、昼ごろにはワシントンにある鉄道の駅についた。
パーシーの仕事はここまで。あとは貨車に荷物を乗せるだけだ。
約束の場所には鉄道側の受取人のジョージがいて、確認しながら荷物を一つづつ手渡しで運んで行く。
「今回は中国の香辛料が多く手に入ったな、全部で五箱だ」
「オーケー、五箱ちょうどだ」
「これは中国の陶磁器だ。気をつけろ」
「はいよ」
「それからこいつは、中国の織物だ。全部で十五巻きある」
「了解、一つ、二つ……」
「それから、中国人」
「ちょっとまって、まだ数えて……えっ」
「えっ」
パーシーとジョージは顔を見合わせた。
そしてゆっくりともう一度目線を落とし、パーシーに抱えられた中国人らしき少年を確認した。
スヤスヤと心地よさそうな寝息を立てて、ものすごく熟睡している。
ジョージは眉をしかめて、手にしたリストを睨んだ。
「……中国人なんて、リストに入ってたか?」
「でも荷台には入ってたぜ?」
「誰が頼んだんだ?」
「西側の労働組合じゃないか?」
「そうか。リストのミスかな? 他はちゃんとあるし……」
「たぶんな。じゃ、中国人!」
「オーケー、中国人!」
こうして中国人らしき少年は、額に検閲済の札を貼られ列車に詰め込まれた。
* * *
雷は目を覚ました時、額に張られていた謎の紙を引きはがし、周りを見回して、また船に連れ戻されたのかと思った。
高い所にある小さな窓から見える景色が、ものすごい速さで流れていたからだ。
窓に手をかけて腕の力で体を浮かせて外を覗いてみると、走っているのは海ではなく陸地だった。
頭を外に出して進行方向を確認してみる。
――汽車だ!
以前、里の子供に写真を見せてもらった事がある。
新し物好きな兄がやたら興味を示していたが、まさか自分が先に乗る事になろうとは。
――でも、これどこに行くんだ?
とりあえず、ここが日本ではない事は確かだ。というか日本と同じ世界なのかも疑わしかった。
赤い乾いた地面が地平の果てまで続いていて、見たこともないトゲだらけの植物が生えている。
そして――後方から、馬に乗った集団がやってきた。
その先頭にいたのは、長い髪とひらひらとした服を靡かせた――美女。
――蘭さん!?
兄嫁と見間違えたのは、髪の色と眼の色のせいだろう。
彼女は銃を構えると、車両と車両の間に発砲した。
すると繋いでいたものが外れたのだろう。雷が乗った一番後ろの車両だけを置いて、汽車は行ってしまった。
馬に乗った集団は歓声を上げて切り離した車両を取り囲み始める。
――なんか、マズイかも……?
雷は頭を引っ込めて窓の下に座った。
とりあえず、敵意のない事を分ってもらって、話し合えばきっと分りあえるだろう。
それにしても、すごく腹が減っている。おそらく丸一日以上は寝ていたんじゃないだろうか。
周りにある荷物は食べ物もあるようだが……。
* * *
車両が完全に止まってから、赤毛の女は馬を下りた。
花をあしらった帽子に、膨らんだスカート。ヒールの高いブーツ。
持っているのが銃ではなく日傘ならば、これから観劇に向かう貴婦人と言っても誰も怪しまないだろう。
「さすがだな、ベル」
彼女の名を呼んだ男が、その小さな肩に手を回すと、パシリと音を立てて払われた。
「なれなれしくしないでよ」
「つれねぇなぁ……」
ベルと呼ばれた赤毛の女は、銃を構えたまま車両に近づく。そして扉の周りにいる男たちに声をかけた。
「いいこと? 三つ数えたら扉を開けるのよ。 Three… Two… One!!」
轟音とともに鉄の扉が開かれた。
ベルが人の気配に向けて照準を合わせると、その人影は持っていたトウモロコシを床に置き、両手を挙げてへらりとわらった。
「こんにちわ」
ボロい布切れのような服を纏った黄色い肌の少年が、拙い英語で喋った。
ベルは相変わらず銃を構えたままだ。
「……中にいるのは坊や一人?」
「うん」
少年の腹がぐぅぐぅと鳴り、気まずそうに笑った。
「ah… 今日の昼飯は何?」
「弾丸なんてどう?」
「ばれっ? どんな料理? それおいしい?」
「……黄色いお猿さんはジョークが分からないみたいねぇ」
「ah… もう少しゆっくり喋って欲しいな……」
ベルはため息をついて、拳銃をクルクルと回し、ホルスターに収めた。
すると少年はニコニコと笑いながら拍手したが、ベルは少年を無視して荷物を降ろすように指示した。
少年もおとなしく手を縛られて、車両から降ろされる。
「それは何?」
ベルが指差したのは、少年を縛った男の手の中にある棒のようなものだ。
「このガキが持ってた。……ナイフじゃないか?」
「見せて」
男はベルに投げるように渡した。
柄にも鞘にも装飾は施されていない。古い木の素材だ。そんなに価値はなさそうに見える。
――中国の剣とも違うみたいだけど……。
少し鞘から抜いてみた。
鈍色の刀身は、ベルの鳶色の瞳を鏡のように映す。その妖しい輝きは、ゾクリとベルの芯を震わせた。
銃は色々見てきたが、刃物に興味はなかった。
ゴテゴテと飾り付けられて、見栄ばかり張りたい下品な男が数ばかり集めてる。そんなイメージしかなかった。
だが、このナイフはただ単に、“物を斬る” それだけに特化しているように見えた。それ以外の一切の無駄はない。
その美しさは、官能的でもあった。
「ねぇ」
少年がベルに話しかけたので、慌てて鞘におさめ、振り返った。
「すごいね。ソレ……」
後ろに縛られた手で、無理やりベルの腰を指差した。
「……銃のこと?」
「そう、ピストル。美人だし、こんな事しなくても食べていけるんじゃないかな?」
「こんな事って?」
「ah… 白人の言葉で、なんて言うのか分からない」
ベルは少年の顎をつかんで、顔を近づけた。
すると少年は真っ赤になって目をそらした。
「列車強盗よ」
「e?」
「あんた名前は?」
「e?」
「あ、ん、た、の、名、前」
「……アズマ」
「そう」
ベルはアズマと名乗った少年の顎から手を離すと腰に当て、荷物を物色している男たちに言い放った。
「このお猿ちゃんとナイフ、私が頂くわ」
「おいベル。いつからそんなチンチクリンのガキが趣味になったんだよ」
「あら、少なくともアンタよりは可愛い顔してるし、側に置いておきたくなるわねぇ。 他に異議がある奴はいる?」
男たちは「お好きなように」というように首を振り再び荷物の仕分けに取り掛かる。
「アズマ、私と一緒に来なさい」
「え……? はい……」
アズマが後ろ手に縛られたままベルの後をついて彼女の馬の前まで来ると「乗って」と命じられた。
「……大きい馬だね」
「短い足じゃ、あぶみにも届かないかしら?」
言葉の意味は分からずとも、馬鹿にされた事はベルの表情から察したのだろう。
ムッとした表情をすると、軽やかに鞍の後ろに飛び乗った。
馬は乗られた事に気づかないのか、地面に僅かに生えている草を食んだままだ。
「流石、お猿ちゃんは身軽ね」
ベルは口笛を鳴らし、ニィっと笑うと、スカートを翻して馬に乗る。
「あら」
長いスカートの中にアズマがすっぽりと入ってしまった。
手繰り寄せると、真っ赤な顔でそっぽ向いたアズマが出てきた。
「坊やねぇ」
「e? ……今なんて?」
「何でもないわ。掴まりなさい」
「これじゃぁ、どこにも掴まれないよ」
ベルは振り返り、アズマのナイフで手を縛っていた縄を斬ってやった。
まるで糸きりで縫い糸を切るように、スッと切れた。……切れすぎた。
「ありがとう」
「……」
「あとこれは、このままじゃ危ないよ」
あまりの切れ味に恐ろしさを感じ、慄き固まっていたベルから、いつの間にかナイフと鞘を奪い、アズマは二コリと笑って鞘に収めて腰に差した。
「ア……返しなさいよ!」
「元々オレのなんだけど」
そうだ。この黄色い肌の少年は、この恐ろしいナイフの持ち主だ。
こんなにヘラヘラしてるが、実はとても恐ろしい人物なのかもしれない。
「……まぁ、そんな安っぽいナイフなんかに興味なんかないから……別にいいわよ。あんたにあげる!」
「元々オレのなんだけど……」
恐ろしいかもしれないけど、所詮は男だ。
――適当に機嫌とれば、チョロイもんよ。
「じゃ、掴まって」
「nnm…」
アズマがどこに手を持っていこうか迷っているようだったので、手を取って自分の腰に回させた。
「しっかり掴まってなさいよ!」
手綱を引き、馬が後ろ足で立った。
するとアズマは驚きあまって、力強く腰を掴んだ。
「a… Gomennnasai!」
あまり女の体に触れる事に慣れてないのだろうか。ひどく慌てている。
それが可笑しくて笑い声が漏れた。
「HI-YO!」
掛け声と共に、馬の腹を蹴ると風のように駆けだした。
* * *
――日本の馬とずいぶん違うなぁ……。
大きさも違うし速さも違う。
そんな事を考えると、赤毛が頬を撫で、甘いにおいが鼻を擽った。
「ねぇ……ワッチャネィム?」
「Myra Maybelle Shirley…Reed」
「リード?」
何故か、最後の言葉だけ躊躇したように思えた。
「Coll me Belle」
「オーケー、ベル。メイアィアスク、ウェアイズディス?」
「Texas」
「テキサスコーダコントリィ?」
「No. This is United States of America」
「アメリカ!?」
アメリカと言えば、兄が持っていた地図だと西の果てにあった大きな国だ。
――そんな遠くに来たのかよ……。
「Where do you come from?」
「ジャパン」
「unknown」
――だろうと思った。
日本ってのは、世界であまり知られてはいないらしい。何度中国人と間違えられた事か……。
なんとなく回した腕に力を入れなおしてから、これが女性の腰だと思いだす。
慌てて力を緩めると、クスクスと笑われた。
別に女慣れしていないというわけではないが……。
――やっぱり蘭さんに似てるってのがなぁ。
なんとなく照れる。
* * *
ベルに連れてこられたのは、あばら家が連なる小さな町だった。
あまり素行が良い人々は立ち寄らなさそうな……そんな町。
白人に混じって、何人か赤い肌の人々がいる。
しかし子供はどこの国も同じだ。 にっこり笑えば、笑い返してくれる。
ベルはある建物の前で馬を降り、繋いだ。
その家の前で二人の子供がしょんぼりした顔でしゃがんでいた。
五つ位の女の子と、三つぐらいの男の子。二人とも白人だった。
「Peal, Ed」
「Mammy!」
暗かった表情がパァっと輝いて、ベルに抱きついた。
――子供がいるのか。
ふと、同じ年頃の甥を思い出した。
ベルは一度二人を抱きしめたあと、険しい顔で問いただす。
「Where are Daddy?」
子供たちは困った顔で、家の中を指差した。
ベルは無言でホルスターから銃を抜くと、ドアを蹴り破る勢いで中に入った。
中の様子が雷にも見えた。
女の嬌声。ガクガクと震える赤い脚……そして激しく上下に動く白い尻。
思わず、二人の子供の目を覆った。
ベルはツカツカと中に入り、白い尻に銃口を突き付けた。
「You’ll increase the anal!」
雷には早口すぎて何を言ってるのかは分からなかったが、大体の意味は察した。
子供の情操教育にはものすごく悪い状況になりそうだったので、二人をつれてその場をそっと離れた。
「……帰ってたのか、ベル。早いな」
「あんたの早漏には負けるけど」
白人の男がゆっくりと立ち上がると、恍惚とした赤い肌の女が男に抱きついた。
「離れな、この泥棒猫!」
「泥棒をしてるのは、お前のほうだろ」
大きな黒い目でベルを睨む。
「インディアンに許されない事が二つある。
それは同胞の持ち物を盗む事と――嫉妬する事だ。
お前は白人のくせに白人から物を盗み、醜く嫉妬する」
「生憎、私はインディアンじゃないの。
私たちの神は妻のいる男が他の女と寝る事を許さない……おわかり?
それに、泥棒をしてたのはこの男も一緒よ」
「でも、ここに来てからはしてない。泥棒は出ていけ」
「あんたの命令に従う理由はない。
ここは白人の町よ。インディアンの出入りが特別に許されてるだけ」
「元はインディアンの土地だ。私たちのルールに従え」
「神のいない土地にルールなんてあるのかしら?」
「神はいる。お前らが認めないだけだ」
「そうよ。妻帯者と寝る女を許す神なんて私は認めない」
「私はジムに愛された。お前はもう愛されてない。それだけだろ?
愛しあう二人を許さない神など、紛い物だ」
「……これだから野蛮な獣は……話が通じないわね」
「話の通じない獣はお前だ」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて……仲良く紅茶でも飲もうぜ。レモン入れる?」
「お前は黙ってろ!!」
ジムは二人に怒鳴られて、一人小さくなって紅茶を啜った。
* * *
ベルが外に出ると、少し離れた広場で子供たちと歌を歌ってるアズマが見えた。
白人の子供も、インディアンの子供も同じように取り巻いている。
「……歌、へたね」
ベルが声をかけると、アズマはへらっと笑って振り返った。
「でも言葉を覚えるには便利だよ。赤い子たちの歌も教わったんだ」
そしてベルの子供たちと一緒に、インディアンの歌を歌いだした。
「インディアンの歌なんて歌わないでよ、汚らわしい!」
「……ごめん、もうちょっとゆっくり喋ってくれない?」
アズマには伝わらなかったみたいだが、わが子と、インディアンの子供たちには伝わったらしい。
パールとエドはびっくりして固まって、インディアンの子供たちは傷ついたような、悲しい顔をした。
それでアズマは、ベルがどんな意味の言葉を放ったのか察したのだろう。困ったような、悲しそうな顔でベルを見つめた。
「……パール、エド。行くわよ」
「どこへ……?」
「おじいちゃんと、おばあちゃんの所よ」
「パパは?」
「パパは、もうパパじゃなくなったの」
そして二人を手を引いて、小さな馬車へと近づく。
「アズマも来なさいよ。あんたは私の戦利品なんだから」
* * *
アズマは子供たちと荷台に乗りずっと歌を歌ったり、言葉を教えあったりしていたが、御者台に乗ったベルはずっと黙っていた。
やがて子供たちが昼寝をし始めると、アズマがベルの隣に座って来た。
「……旦那さんと喧嘩したの?」
「あの女の言うとおりよ……もうとっくの昔に私とあの男の間に愛はなかった」
「子供が二人もできたのに?」
「もちろん、パールとエドは愛してるわよ。だから私はこの子たちさえいればいいの」
ベルが黙るとアズマも何も言わなかった。しばらく馬蹄の音を聞いていると、獣の唸るような音が混じって聞こえた。
「……コヨーテかしら」
ベルがホルスターに手を伸ばした時だった。
「いや、オレの腹の音」
「……」
「……今日何も食べてないんだよ……何かない?」
「……弾丸ならあるけど」
「ばれっ? さっきも言ってたね。それでいいよ」
差しだした掌に、弾丸を置いてやった。
アズマはそれをしばらく眺めた後、おもむろにかじった。
泣きそうな顔でこっちを見て腹を鳴らしたので、つい子供に言うように「次の町まで我慢しなさい」と言った。
* * *
街に着いたのは、西の空が真っ赤に染まる頃だった。
先ほどの町と様子はさほど変わらない。違うのは、この町にはインディアンが一人もいない事だ。
アズマはよく食べた。
小柄な体からは想像できないくらいよく食べた。
あきれ顔で睨んでやっても、ヘラヘラと笑うので、ため息をつくしかない。
食べ終わったら、今日泊まる部屋に向かう。そこにはベッドが一つしかなかった。
そして子供たちをベット寝かせると、ベルも横になる。
「オレは?」
「床に寝れば?」
「……だよね」
アズマは困ったように笑って、部屋の隅っこで蹲った。
しばらくしてアズマが物音で目が覚めたのは、深夜。下の階の酒場も静かだ。
窓辺にベルが座っていた。
赤毛が満月の光に照らされ、白い肌が浮かび上がる。
「……Ten-nyo?」
聞きなれない言葉に、ベルが振り返った。
鳶色の瞳と、真黒な瞳が交差する。
「今なんて?」
「……Ten-nyo. オレの国の言葉で女神様とか、天使って意味」
「……私が?」
「うん」
「冗談。魔女がせいぜいよ」
「じゃぁ綺麗な魔女だ」
「……私たちの神は、魔女は火あぶりになって地獄に落ちるべき存在だと言ってるわ」
「そりゃ列車強盗は悪いことだと思うけど……」
「列車だけじゃない。銀行も襲ったし、馬も盗んだ」
「……人は殺した?」
「私はない。だけどジムは……元旦那ね。アイツは殺しもやった。
だから賞金首になって、あのインディアンの居留地に身を隠したんだけど……まさかインディアンの女とデキるなんてね。
……私、インディアン自体に恨みはないわ。
兄の友人にもインディアンはいたし、父の農場でインディアンを雇ったりしてたし……。
でもインディアンと揉めると最悪ね。根本的に考えが違うんだもの」
「……揉めると最悪なのは、どんな相手でもそうだろ?」
「そうね。でも、もう疲れた。そもそもあの男と結婚したのが間違いだったのよ。
どうして好きになったのかすら思い出せない。完璧に騙された!!
騙されて……こんな風になっちゃった……」
ベルは突然顔を両手で覆い、肩を震わせた。
「……元々、あの男は私の銃の腕が目当てだったのよ。
私の腕があれば強盗家業が楽になるから……真面目に働くふりして、パパやママを欺いて……。
結婚して彼の故郷に行って娘が生まれた後……あいつは元のゴロツキ仲間とよりを戻し始めて……。
……あとは分かるでしょ。下り坂を転げ落ちてった。 私は、このまま地獄に落ちるべきなのよ!」
「そんな……」
「でも子供たちは!? 私は地獄に行く事になっても構わない……でも子供たちには罪はないのよ!?
女手一つで、どうやって子供を二人も育てられる!?
子供たちには私の父と母の所に行くと言ったけど……強盗に手を染めた私を受け入れると思う!?」
「でも、血には染まってない」
いつの間にかアズマが目の前にいて、ベルの手を握った。
「ベルの手は白くて綺麗だよ。大丈夫。やり直せるよ、きっと」
「……アズマ」
突然、ベルがアズマに抱きついた。
アズマの胸板に、ベルの胸が潰れるくらいに圧し掛かった。
「べ、ベル……!?」
「背は低いくせにね……」
ベルの腕が、アズマの背中に回る。
「……落ち着く……」
ゆっくりと目線を合わせ、ベルは切なげな顔を近づけた。
「……エドが生まれてから、旦那とはほとんどしてないの」
「何を?」
黒い眼が忙しなく動く。必死に何か別の事を考えようとしてるのだろう。
「私は女なのよ。銃の腕じゃ男顔負け。男どもを率いる盗賊女王。
色々呼ばれてても、やっぱり傷ついた時は男に優しく抱かれたくなるものなのよ」
「ぱ、パールたちが、起きる、よ?」
「別の部屋もとってあるの」
と、アズマの掌に鍵を握らせた。
「……待ってる」
唇を重ねて立ち上がると、ドアへと向かい、一瞬振り返って、ほほ笑んだ。
残されたアズマは暫くそのまま固まっていた。
薄暗い天井の一点を見つめたまま、呼吸すら忘れているかのように動かない。
やがて大きく一回息をつくと、彼の国の言葉でつぶやいた。
「Niy-san… GOMEN!!」
そして鍵を力の限り握りしめて、音もなくドアの外へと駆けだした。
* * *
鍵と同じ番号の部屋に入ると下着姿のベルがいた。
白い肌をきつく縛るような黒い布地は、胸元、腰のくびれ、ももの柔らかさ、全てを強調する。
アズマにとって初めて見るものだが、裸よりも官能的に思えた。
「来てくれたのね、アズマ!」
ベルはアズマに抱きつくと、その唇を奪い、ベッドへと誘う。
そしてゆっくりと雷の胸を押し、横たえさせると、ふと手を止めた。
どうしたの? という表情をするアズマを見下ろして言った。
「女を抱いたことないの?」
「……この国の女の人は、ね」
ムッとした顔で言い返すのでニイっと笑い返した。
「じゃぁ、この国の女の抱き方を教えてあげるわ」
「お手柔らかに」
「まず、手足を縛らせてもらうわよ」
「ah… sou-iu…」
「次に目隠し」
視界が完全に塞がれ、耳元でクスクスと笑う声がする。
「もう少し、向こうに転がってくれる?」
と体を押されたので転がると――ベッドから落ちた。
床ではない感触がする。
何に落ちたのか考えるより先に、上から何かをはめるような音が聞こえた。続いて、木に釘を打ちつける音。
これから起こるのが色っぽい事ではない事ぐらい、この国の者ではないアズマにも分かる。
何人かの足音が聞こえ、ベルと男の話し声が聞こえた。
「たったこれっぽっち!?」
ベルの声。
「あんたらも見たでしょ? 黄色い猿のわりに可愛い顔してるんだから……もう少し足して」
「でも男だろ? ガキみてぇなツラだけど、成人してんだろ? 女だったら足してやっても良かったんだがなぁ」
「あんたの娘と息子だったら、一人で倍額は渡せるぜ? 二人で五倍。どうだ?」
「十倍でもお断りだね。仕方ない……。アイツの持ってたナイフもつけるわ。これで何とかならない?」
「珍しいナイフだなぁ……」
「古い感じだし、骨董品って言えばマイケルになら売れるんじゃねぇか?」
「そうだな……じゃ、これで」
自分の身に何が起こったのかようやく理解した時、後頭部の位置からコンコンと叩く音が聞こえた。
「ありがとうアズマ。おかげで子供たちと列車に乗って帰れるわ」
「ベル……」
「それから、子供たちと仲良くしてくれてありがとう。
あの子たちが楽しそうにしてるの、久しぶりに見たわ。
だからお礼にいい事を教えてあげる。
男と二人っきりになった時にしか泣かない女には気をつけなさい。 特に身の上話をしながら泣く女にはね」
「……さっき、お前の事“Ten-nyo”って言ったけど、訂正する。お前は“Abazure”だ」
「どういう意味?」
「Bitch!!!!!」
「Thank you, little monkey」
自分の入った木箱が乱暴に担がれていく。これからどうなってしまうのか……。
「Niy-san… Ore-ga waru-katta desu…」
異国の言葉は、木箱を担ぐ男たちには分からなかった。
* * *
朝、不法な人身売買を行っていた集団が逮捕された。
州境の街道で立ち止まる不審な馬車を、近くを通った運送業者が見つけたのだ。
馬車に乗っていた男たちは、大きな怪我を負い、気絶していた。
荷台には、内側から壊された木箱が一つあったという。
大きさからして子供が入ってたと思われるが、子供では木箱を壊せないだろう。
しかし男たちに何を運んでいたのかと問いただしても、みな一様に身を震わせて、こう言うだけだった。
「Demon」
「あーあ、ゴシップもワンパターンになったもんだねぇ。三文小説の方がナンボかマシ」
ニューメキシコ州のとある街にある売春宿の女主人シャロンは、新聞をつまらなそうに睨みつけて、葉巻の煙を鼻から出した。
白髪交じりで、深い皺に刻まれてはいるが、若いころは相当の美人だった……らしい。
新聞には、今日も誰それが殺された、どこそこで強盗があった、そして逮捕された。そんな事ばかりが書かれている。
化け物騒ぎの隣の記事には、賞金首のジム・リードが保安官に射殺された事が書かれていた。
しかしこんな記事はもはや誰も興味を示さない。
シャロンも、朝がこんなに暇じゃなかったら読みもしなかっただろう。
「……全く。もっと明るい話題はないのかねぇ」
灰皿に溜まった灰を窓の外に捨てると、下から男の叫び声が聞こえた。
のぞき込むと黄色い肌の男が頭に被った灰をパタパタと払っていた。
「……なにしてんだい?」
男はシャロンと目が合うと、ヘラヘラと笑った。
「食べ物、分けてくれない? ……弾丸以外で」
「パンを食いたきゃ洗濯夫になりな。スープと寝床もつけてやる。女を食いたきゃ金出しな」
そう言ってシャロンは、男の顔に煙を吹きかけた。