第4話 頼朝、芭流(VALU)に参戦すること
「芭流ですかぁ~?」
頼朝は、父親が清盛に敗れて討ち取られた後、ここ伊豆に流されて囚人として20年も過ごした。
当時13歳だった少年も、すっかりアラサーのオッサンとなっていた。
以仁王から芭流の事を聞かされていたが、いまいちピンと来ず、「胡散臭いな、そもそも金ないし」と思って敬遠していたのだ。
しかし、三浦義澄は熱意を込めて頼朝を説得した。
「いえいえ。頼朝様、ここは我々にお任せください」
「というと?」
「あなたはただ、いつものように過ごし、いつものように呟いていればいいのです。
ただ、少しだけ我々に希望を見せてもらいたい。約束をして欲しいのです。
『芭流で得た資金は、坂東武者のための国を作る資金にする』と。
そうすれば坂東武者はかならずあなたの芭流を買いましょう。
あなたの”価値”、すなわち源氏の価値が復活するのです」
「ふむ……源氏の家の価値が元通りになるなら、悪くはないな」
「元通りどころじゃありません。きっと今まで以上のものとなるでしょう」
こうして三浦義澄と頼朝は一晩中話し合った。
そして頼朝は芭流に申請し、義澄は宋銭集めに奔走した。
芭流は登録制ではあるが、登録資格は「本名」がある事ぐらいだ。
そして芭を買うだけなら、宋銭さえあれば問題ない。
ただ……自分の芭を売り出すには審査が必要なのだ。
審査内容は主に「本名である事」「なりすましではない事」「活動の発信を積極的に行っている事」である。
審査には七日間かかり、長いと1か月以上かかる事もザラにある。
頼朝も、芭流からの文を今か今かと待っていた。しかし――。
「芭流の審査に落ちました」
理由は家臣(フォロワー)の数の少なさと、活動の発信不足にあったらしい。
そこで頼朝は、まず本格的に家臣集めに奔走した。
安房・下総・上総・武蔵・相模の南坂東で、父や祖父、先祖の代からの源氏の家臣の元を訪れた。
源氏に協力するよう説得し、父の屋敷のあった鎌倉に住むことにした。
源氏に恩を感じる家は多い。あるいは利用できると感じた者もいただろう。
頼朝の家臣(フォロワー)は膨れ上がり、鎌倉を整備する様子を発信する事で坂東武者の信頼も得た。
そして再び芭流に申請すると、ついに審査に通ったのだった。
「みんな! 私の芭流が公開されたよ!」
頼朝の芭に買い注文が殺到し、頼朝の芭が動き出す……!!
時流により、よくわからないまま芭に登録させられ、平家の芭を買っていた坂東武者たちも、頼朝の芭を買いに走った。
一方同じ頃、北坂東でも同じように立ち上がった源氏がいた。
信濃国から立ち上がった「源木曽義仲」である。